日記

雑感

なんだか最近、ちゃんとした受け答えがどんどんできなくなってきている。いや、ここ7年くらいずーっと自分の瞬発性のなさに悩まされている。今日はとことん何もかも嫌になったので、立ち直るまで少しかかりそうな気がする。何か翻訳でも日課にして少しづつ取…

雑感

3月19日(土) 朝から日仏哲学会へ。ベルクソンの直観、ギュスターヴ・ギヨームの言語論、ドゥルーズ・ガタリの指令語に関する個人発表を聞く。 午後からは、恩師にお誘いいただいた関西唯物論研究会に参加すべく、あべのハルカスへと向かう。このような若輩…

雑感

今日は非常勤先で二コマ。8月の一週目が試験なのでもう少しといったところ。 Camille Riquier, « Bergson (d')après Deleuze », in Critique no.732, Paris, Les édition de Minuit, 2008. ドゥルーズによるベルクソン解釈からいかにベルクソン自身の思想を…

雑感

授業準備に追われ、追われ、まったく博論が進みません。とりあえず、日々の記録を付けておこうと思います。 モード・マノーニ、『反-精神医学と精神分析』、松本雅彦訳、1974年。 阪大の講義(あと二回)では、拒食症を含む精神疾患を、いかに精神医学的、…

ニーチェとガダマー、ニーチェとドゥルーズ、系譜学と地質学

今日はENSへ、エラスムス・ムンドゥスの研究会(「ニーチェとの対話」)に顔を出す。午後から出席したのだが、午前中の発表が残っていたらしく、急にSebastian Pilz氏という方のドイツ語の発表がはじまって驚いた。そして、日本に何度も来られているアルノー…

ウーノ、ポステュマン。

今日はパリ8、Pierre Cassou-Noguès氏のゼミへ。 文学や哲学は、機械(Machine)のイメージを非常によく多用する。そうしたイメージは科学や科学的思考にいかなる影響を与えうるのか。それはおそらく思考という語そのものが持つ観念(notions)を変容させる…

今日はパリ8のフレデリック・ランボー氏による「ドゥルーズと主観性」に関する講義へ。ドゥルーズにとって「主観性」(subjectivité)ないし「主体化」(subjectivation)の議論が重要であることは言わずもがなであるが、ランボー氏はそれを(1)政治、(…

パリもようやく暖かくなってきたなと、コインランドリーの洗濯中に近くのカフェで昼食。暖かいのでテラスに行くが、しばらくするとやはり寒い。なぜ皆さんこんな寒いなか何時間もおしゃべりできるのだろうかと感心する。エスプレッソダブルとクラブハウスサ…

今日は特に何もないため、blanche駅前のスタバに行ってみるが、尋常ではない人だかり。ここは、「ムーラン・ルージュ」前なので観光客でふくれあがっている模様。家で読書。 Gillez Deleuze, La philosophie critique de Kant. 序論、第一章読み直し。ドゥル…