パリもようやく暖かくなってきたなと、コインランドリーの洗濯中に近くのカフェで昼食。暖かいのでテラスに行くが、しばらくするとやはり寒い。なぜ皆さんこんな寒いなか何時間もおしゃべりできるのだろうかと感心する。エスプレッソダブルとクラブハウスサンド。なかに干したトマトが入っており、美味しい(家にある貰い物の乾燥トマトもこうして使えば良いのだ)。

こちらのテレビでは、月曜から木曜まで毎日3時間ほどぶっ通しで『ドラゴンボール』をやっている。今、「セル」シリーズなのだが、リアルタイムで観ていた当時、子どもながらに、派手なアクションよりも登場人物の心理戦に惹かれていたのだなあと実感する。よく出来ている。変身や設定(「精神と時の部屋」などは巧妙)も凝っているが、特に改めて思ったのは、キャラの風貌についてである。たとえば、「なぜ登場人物の多くにしっぽがあるのか」。それは「しっぽが切られるべきものだから」だ。とは言え、そもそも切られることをあらかじめ設定してキャラが作られているわけではない。むしろ、しっぽがあるがゆえに、「切られる」という状況が事後的に可能になるのだ。だから、「セル」なんかは、しっぽどころか羽だのクチバシだのいろんなものがごちゃごちゃ付いている。

などというくだらないことを思ったのは、フリーザが未来から来たトランクスに切られる場面で、しっぽの根元近くが絶妙に切り落とされているカットを思い起こしたからだ。(画像は無い(というかそもそもアップすると著作権にふれそうなので、探してみてください))。