雑感

今日は非常勤先で二コマ。8月の一週目が試験なのでもう少しといったところ。

 

  • Camille Riquier, « Bergson (d')après Deleuze », in Critique no.732, Paris, Les édition de Minuit, 2008.

ドゥルーズによるベルクソン解釈からいかにベルクソン自身の思想を切り出すか、そして、ドゥルーズ以後のベルクソン研究がどう展開したのかというレビューのようなもの。ドゥルーズは、持続をそれ自身に対して異なっていくもの、あるいは質的な変化なしには分割されないものとし、その異他性(hétérogénéité)に着目する。ではそれは、ベルクソンが持続の特徴として挙げる連続性と対立するのではないか、これがリキエ氏の問いだ。「連続性や継起に至るどころか、ラディカルな異他性は、反対に、それらを排除するように思われる」(362-363)、と言われてみれば確かにそうだ。

 

  • 岩城見一、『〈誤謬〉論  カント『純粋理性批判』への感性論的アプローチ』、萌書房、2006年。

第一章まで。失礼ながら、若い方の博士論文かと思っていたが、京都国立近代美術館の館長であった。カントにおける「超越論的構想力」が、フィヒテシェリングによっていわば超越的な自我概念へと展開されたのに対し、それをハイデガーが人間の有限性の議論へと差し戻す(ゆえに、『純粋理性批判』の第一版が評価される。純粋悟性概念の演繹の部分)。このあたりは非常に勉強になるのでありがたい。

 

ふと考えてみると、ハイデガードゥルーズでは、いずれも人間の有限性(実存の問題)という問題意識が共通しているにも関わらず、ドゥルーズは『純粋理性批判』の第一版のいわば「心理主義的還元」を批判する(第二版ではカント自身がその議論の弱さに気づき改定したが、それでもなおカントの心理主義は残っているとドゥルーズは批判する)。また、ドゥルーズ自身は、構想力にそれほど重要性を置いていない。この点に関してはいずれ考える必要がある。