世界、身体、精神の信

拒食・過食(両者は概念的に区別されるべきだ)、頭痛、カタトニー、つまり、病む身体と信仰(崇高)の問題を考えるために、シモーヌ・ヴェイユを(趣味的に)読んでいる。準備段階として以下の本を読む。図書館の本ゆえ書き込みなどできなかったが、書誌情報として。

シモーヌ・ヴェイユ

シモーヌ・ヴェイユ

 

 ヴェイユの思想的変遷を、彼女が生きた政治的状況の変化とともに丹念に記述したもの。非常に勉強になった。

すべての人間に対する義務を根拠づけるのは、個人に特有の人格ではなく、万人が共有する非人格的なものへの敬意である。「ひどい仕打ちをうけて、なかば呆然と、なかばうちのめされて、どうして〔人は私に悪をなすのか〕と問わずにはいられぬ人びとの魂のうちに、キリストは何度でも受肉する。そこにこそ人間の尊厳の根拠があるのだ」(236)。

 

甦るヴェイユ (洋泉社MC新書)

甦るヴェイユ (洋泉社MC新書)

 

「またもし若い男女たちよ。自分が学生だったら、また生涯の生活が学生の延長だとおもっているのなら、知識をあくことなく獲得すべきだ。それで他人や知的でない大衆を圧伏したり、侮辱したりするためではなく、知識は〈富〉と同じようにあっても決して恥ではないが、誇るべきものほどでもないことを、 ほんとに体得するためにだ。」(88)