購入図書など
年末に博士論文を提出し、ようやく本が読める状態になった。しかし、達成感などというものは微塵もありません。やらなければならないことが山積です。ともあれ、2月14日の公聴会の準備を。いったい何を既に買って、何を読むべきなのかを見失いはじめたのでまとめておこうと思う。
- 作者: E.カッシーラー,Ernst Cassirer,宮城音弥
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1997/06/16
- メディア: 文庫
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次年度の「哲学概論」後期の教科書に用いようと、旧版を読んでいたが(ちなみに定価が300円!)、新装版が出ているのを書店で見つけたので購入。旧仮名遣いが直されている。
こちらはその講義の参考図書として。書かれていることは、われわれ哲学屋にとっては当然身につけているべき「常識」であるので、改めて学ぶことはないが、学生にとっては有益である。とはいえ、われわれにとっては、哲学書を読み、他人と議論するなかで培われ、いつのまにか血肉となった技術であるので、これを文書を通して(つまり頭で理解し)身につけることができるのかは疑問だ。哲学研究とは、通常思われているよりもathlétiqueなのだ(←『感覚の論理』などに頻出するのですが、何て訳すのでしょうか)。
こちらも講義用だが、今更、入門的な哲学史の記述を追うのはとてもつらい。
前著『絶望論』よりもはるかに理解し易い(これは、僕がマオイズム関連に明るくないためであるが)。
2011年に逝去されていたことを恥ずかしながら存じ上げませんでした。これから勉強させていただきます。(積読)
完全なる私用。(積読)
著書自身も書いておられたと思うが、何かしら提言なり提案なりがなされているものではない。著者が知らなかったこと(あるいは知っていたこと)、知らなくてもよいとされていたこと、これから知られぬままでも構わないとされるであろうこと、これらをとりあえず書き記しておこうという本である。
精神医療の制度や運動、それにまつわる諸問題に関しては、きっぱりと善悪や白黒を付けられるものではない。批判する側、批判される側の両方に思い込みや思い違いがあり、レッテルの張り合いがあるからだ。ともあれ、僕が立岩氏を読むのは、かつて『現代思想』にて小泉義之氏との対談において語られていた内容が、きわめて本質的だと思われたからだ。医療や制度、治療やケアという名で、患者はさまざまに対象化され処方を施される。病は治療される「べき」であり、障害者は健常者と同等の生活や権利をもつ「べき」である、とされる。おそらく、立岩、小泉両者はここに腐臭を嗅ぎ取っていたと思う。医療、治療が介入せずとも彼らが「うまくやっていた」時代がかつてあったし、健常者と同等の生活や権利に自らを適合させずとも、自身の病や障害を肯定しえた時代があったはずで、それを拾い上げるべきなのだ。
もちろんうまくは言えない。しかし、だからこそ、先天的障害を持って生まれた人間が、子を産み育てている現実を知り、あるいは、相方から統合失調症を打ち明けられた時に、「それってお前の個性じゃん」「何年かかっても、お笑いがやりたけりゃ、また二人でやればいいじゃないか」と言ったというエピソードを聞くたびに、いちいち感動するのである。
ともあれ昨年末から唯一読んでいたのが、立岩氏関連著書であった。
文庫版が出ていたので購入。おおよそ1000頁!