■Roy, Harris. Sausuure and his Interpreters, Second edition, Edinburgh: Edinburgh University Press,2003.


アマゾンから予定よりはやく到着。
近年、続々と刊行されているソシュールのあらたな未公開文献によって次第に明らかになっているのは、古き「構造主義者」としてのソシュールではなく、まさにあらたな「総合主義者(Integrationist)」*1としてのソシュールの姿である。


おそらくは、いやまさに、統合主義的な観点こそが、もろもろの記号を他のもろもろの記号とのそれらとの関係性によってのみ決定されるものとみなすような、言語(language)についての考え方の合理的な終局なのである。

ハリスはまた、「パロールの言語学」についても言及している。

ソシュール研究のロジックにおいて、それら〔統合主義的傾向〕を無視することはできない。なぜなら、それらは間違いなく「パロールの言語学」についての講義を表面化させるものであったからである。そしてこの「パロールの言語学」は、ソシュールが公言しながら、決してやり遂げなかったものである。

一般的に、ソシュールはパロールの言語学の存在については否定的であったと思われている。
しかし、これは「実はソシュール自身のものではなくて編者たるバイイらのものでしかなかったことが」現在では明らかになっている*2
また、丸山圭三郎はラングを中心とした、「解明の道具、静態的分析装置」としての記号学1と、パロールを中心とした「乗り越えのための道具としての弁証法を蔵した力動的装置」としての記号学2を明確に区別すべきであると述べている*3

そして、この「パロールの言語学」の可能性をフッサール現象学との関連において、独自に提示していたのがメルロ=ポンティに他ならない。これについては今度まとめる予定。


ソシュール言語学(より厳密に言えばその『一般言語学講義』)が、どのように誤読され、言語学のみならず、人類学、精神分析、文学研究といったさまざまな領域に拡張されていったのか。なぜ彼らは誤解してしまったのか。「これらに対する解答は、西洋文化の歴史における中心的問題に焦点をあてる」ことになるだろう。さらに、ハリスが近年展開している、「統合主義言語学」との関連はどのようなものなのか。

*1:詳しくはRoy Harrisのホームページ(http://www.royharrisonline.com/index.html)を参照。今回、「Integrationist」に「統合主義」という訳を充てたのはまったく恣意的である。

*2:メルロ=ポンティ「言語の現象学について」269ページ注

*3:丸山圭三郎ソシュールを読む』