川上未映子「乳と卵」

乳と卵

乳と卵


ドストエフスキーの『罪と罰』。話の筋や人物名などほとんど覚えていないのに、馬が殴り殺されるシーンだけが強烈に印象に残っている(はたして実際にそんな場面があったのかどうか確かめてはいないけれど)。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』で印象深く残っているのも、一滴の血も流すことなくモンゴル人が全身の皮を剥ぐシーンであった(モンゴル人は聖なる大地を血で汚すことはしない)。

川上未映子『乳と卵』は、豊胸手術で頭がいっぱいの母と筆談しかしなくなったその娘、彼女の叔母にあたる主人公の3人による物語。関西弁で展開され(関西弁というよりは大阪弁)、一文が途切れることなく2ページ弱も続くその文体(これが自由間接話法だろうか)も特徴的だが、この小説にも印象深いワンシーンがある。いわゆる物語のヤマ(浄化へ向かい一気に駆け上る部分)で、母と娘が泣きじゃくりながらパックの卵を頭で割りあう。自分の母親がなぜ豊胸手術をするのか、その理由が分からない娘(彼女にとって、豊胸手術は女性性の典型である)に対し、「ものごとにはいつも必ず何か理由があるわけではないんよ」、母にとって豊胸はそれ自体が目的であってそれ以上でも以下でもないのだから、互いに話し合って解決できるわけもなく、そこで二人は卵を割りあうしかない。
しかし、こんな出口もなく、どうしようもなく深刻な状況だからこそ生じる「笑い」というものがある。なにかのパロディでもなく、取り立てて面白いことを言うわけでもない。どうしようもなくシリアスな状況それ自体がユーモアに転じる瞬間がある。それを作者は的確に描出しているのだ。