かつてフーコーは、19世紀の権力が、当代に著しい発展を遂げた生物学(細胞生物学)をはじめとした、あらゆる科学を利用することによって、知の編成、近代的主体の成立、すなわち、被監視者としての主体の生産を行っていたことを分析した。
 フーコーが規律訓育型権力、言説編成の水準で行った「考古学的方法」は、国家的主権の法的権力モデルとは異なる権力の様態を明るみに出すことに成功した。岡田氏によると、フーコーによるこの分析は、単に、生物学、衛生学、観相学といった、科学的な領域のみならず、芸術というある種異質な領域においても同様に適応可能であるという。むしろ、19世紀の芸術は、芸術作品の修繕、作者の同定作業、ミュージアムの展示方法などを通して、衛生学や犯罪統計学といった生政治のあらゆる制度的権力と共犯関係にあった。

 しかし、芸術は、国家の権力構成のために用いられるに留まらない。むしろ、芸術という領域においては、言説編成の水準における生権力の対象としてはけっして捉えきれない、特異な事象が立ち現れているという。例えば、1863年にジェリコーが描いた五枚の「モノマニー」がそれである。軍指令、窃盗、誘拐、ギャンブル、羨望といった特性をそなえたこれら「狂人の肖像」は、「当時の司法、医学の押し付ける正常/異常の二項対立に疑問を投げかける」。それは、生権力の対象であるアルスとは異なる、「ただ生きるだけの生」としてのゾーエの顕現であると考えられる。

 われわれの疑問はまず、生物学、統計学的統治に対してフーコーが用いた権力モデルの分析は、果たしてまったく異質な領域である芸術にも実際に適応可能なのだろうか―いうまでもなく、ここにいう芸術とは、芸術作品そのものの創作という異質な場面のことであり、芸術に関するさまざまな言説についていえば、フーコーの議論は適応可能であろう―ということである。生物学と芸術という異なる領域を結びつけいているのが単なるアナロジーではないとするならば、その適応可能性を保証するものはどこに見出されるべきなのか。
 第二に、上述したジェリコーの「モノマニー」が、当時の生権力を超えた、一種の彼岸を顕現させる契機であるとするならば、この作品が創造された動因はどこに求められるべきなのか。岡田氏も述べていることだが、ここで注意しなければならないことは、ジェリコー自身の意図は当時の法医学の宣伝にあったわけでも、なんらかの政治的体制に対する反発にあったわけでもないということだ。ならば、ジェリコーの意志とは無関係に、この異質な作品が当時の時代的状況において顕現したという事実を可能にしている条件とは何であったのか。
 後者の問いに答えることは、生権力の発動と、そこから逃れる異質な領域の派生の動因を同時に規定することである。すなわちこれは、生権力と芸術作品の発生を、同水準の歴史的実定性において思考することであり、したがって、生権力と芸術の間を単なるアナロジーとは異なる水準で捉えることになる。
 19世紀後半に足をそろえたように、あらゆる知的領域において同時発生的に顕現した生権力的体制が、単なる偶然性によってではなく、なんらかの歴史的実定性によって条件付けられているのであれば、ジェリコーのような異質な作品の顕現にもまたなんらかの歴史的な実定性が働いているのではないか。もちろんこの場合、生権力的体制への反抗が「無意識的に」機能していたのだとか、ジェリコーの作品は単なる偶然的例外に過ぎないといった、いくつかの想定は可能であろう。しかし、それでもなお、その「無意識」が一体どのような力の関係、なんらかの諸要素間の相互作用、規定関係によって作品創作の動因として機能しているのかというさらなる問いが立てられなければならない。
 ジェリコー作品の顕現を、フーコーの分析、認識論的断絶を経たわれわれにとっての、単なる事後的確認事項に終わらせないためにも、生権力とジェリコー作品という全く異質かつ相反する様態の同時的発現が、いったいどのような構造的規定によって、どのような動因によって可能となったのかということを歴史的に思考しなければならない。