結局、『差異と反復』の主題は二つあって、ひとつは認識論。これは二つの観点から議論されていて、第一に、伝統的な哲学の系譜において、いかに概念の同一性や、述語の対立といった表象の形式が暗黙的に思考を制約していたのかを批判すること。第二に、このような表象の形式に制約されることなく、事物あるいは事柄を認識、思考するひとつのシステムを形成すること。
もうひとつは一般存在論(存在の一義性)。潜在的な理念がいかにして個体ないし概念として分化するのか。(理念−強度(個体化の場)−概念=indi-différent/ciation)

「経験論者を措いて、誰が次のように言えようか―諸概念は物そのもの」あるいは「経験論は、概念をまさに、或る出会いの対象として、〈ここ―いま〉として、あるいはエレホンとして取り扱う。」という言明の奇妙さ。つまり、一般的に心的表象とされる概念と、現実的な個体が同一平面上に置かれている。しかし、ここにドゥルーズが経験論に重点を置くことの意義、個体そのものがその超越論的条件を表現しているというビジョン(スピノザ)が明確に現れているのでは。

ここからどのように記号(signe)概念を引き出すか。もちろん、「出会いの対象」としてである。

風呂はいって寝よう。