言葉と在るものの声

言葉と在るものの声

まだ読み始めたところのなので、印象だけ。
冒頭はベルクソンの『物質と記憶』の記述の変奏というかカバーというか。哲学的な先入見を排除しながら、われわれの「現実的な生活」に定位することで、ある「潜在性」を描き出す。ベルクソンが述べた弛緩と収縮を繰り返す記憶という潜在性こそが、われわれの「身体」の前提として見出される。

思いのほか良本かもしれない。きわめてドゥルーズ的、というかドゥルーズ(あるいは構造主義)の問題意識を的確に捉えている。われわれの現実はなぜ単なる自然的(物理的)世界ではなく、歴史的、社会的現実なのか。あるいはなぜわれわれは自身の現実に歴史的といった形容を与えることが可能なのか。なぜ、この現実性であって、他の現実性ではないのか。



コンディヤック『人間認識起源論(下)』小茂田宏訳、岩波文庫 
言語の発生(むろん身振り、表情といった非分節音的言語)は、情念の叫びと知覚の結びつきにある。面白いのは、原初的なヒト2人(アダムとイヴ)のあいだにうまれた子供が、両親自身の記号体系に変容をもたらすという観点。

その子のきわめてしなやかな舌は複雑きわまりない仕方でうねり、全く新しい単語を発話した。…両親たちにとってこの単語を発音することがいかに困難であったかを思えば、彼らが自分たちだけでその単語を発明することはできなかっただろうということが分かるのである。 (20-21)