●ヘルマン・ラング、「二十年後の『言語と無意識』」、石田浩之訳、『Imago ラカン以後』所収、1994年、青土社

精神分析家と患者とのやり取りは、言葉による対話によってなされる。むしろそこには対話しか介在しない。しかし、この言語の「介在」あるいは「媒介」を、単に「無意識的であった葛藤的内容の明晰な意識の水準への引き上げ」の道具として理解するのは誤りであろう。なぜなら、そのような無意識的内容がもうすでに「ある意味で言語類似の構造をもっているのでなかったら、言語がそもそも上のようなこと一般を可能にするかどうかさえ疑わしい」からである。

なにか言語化される以前の無意識的対象が外部にあり、それを言語が分節化する。このように言語を「媒介」物として捉えたのが、プラトンからフッサールを経て、新実証主義へと至る西洋に支配的な哲学的伝統であり、フロイトでさえも、「無意識(Ubw)系に対立するものとして意識(Bw)系を特徴付けることによって」、この伝統のうちに含まれるという。
それに対し、ソシュールをはじめとする構造主義言語学、あるいは、ハイデガーやガダマー、ウォーフ言語学は、「言語はなにか予め与えられているものを表現し、伝達するだけのものではなく、言語はむしろこれら予め与えられているものそのものの分節であり、人間の現存在そのものにとって本質的なもの」であると考える。
言語を人間存在にとって根源的であると考え、さらに重要なことには、無意識を人間や世界の外側に位置づけるのではなく、「この超越論的な枠組みの中に位置づける」ことによって、「最終的には分析的対話(ディスクール)のなかで言葉になる葛藤にみちた無意識的状況が、すでにその根源的所与において、言語的「差し押さえ」の外側にあるのではない」と考えることができる。臨床(セッション)におけるこの言語的対話の「深み」を追及したことこそ、ラカンの功績であり、『言語と無意識』であるという。





追記
精神分析に対して、その科学的実証性を付与するために、自らの用語を神経生理学用語への翻訳を試みていたフロイトに対して、「ラカンは最初から心理学的−精神病理学的領域で活躍していた」。ラカンは、自らが精神科医であることに常に固執し続けたのだ。