アルチュセールの理論的移行とは。。。

自宅近くのマクドにて、二時間ほど読書会の予習。


これは初期ドゥルーズの最重要文献のひとつといっても過言ではないもの。
それとあわせて、

も読む。

佐藤氏によるとアルチュセールには、1960年代から70年代にかけて一つの理論的展開があるという。

「経済的審級における決定」という命題は一九七二年の時点で事実上放棄され、政治的領野における偶然性の優位、すなわち「偶然的唯物論」への移行が既に開始されているのである。こうしたアルチュセールの理論的移行を、経済的審級の「最終審判における決定」の優位から政治的「偶然性」の優位への移行、と表現することができるだろう。(130ページ)

すなわち、60年代において、あらゆる現実的なものを、経済的審級という超越的シニフィアンによって規定
し、自らは「非現前」のままその「効果」としてそれらを現前させるという「最終審判における決定」が、70年
代において、マキャベリ研究に即して、歴史に現前するある一回限りの出来事の特異性としての「政治的
偶然性」にとって代わられる。



ところで、ドゥルーズの「構造主義」の論文は、1960年代に書かれたものであり(出版は1972年)、佐藤
氏の説明と照らし合わせると、そこで扱われているのは、そのような移行以前のアルチュセールというこ
とになる。したがって、ラカン、アルチュセールレヴィ=ストロースが並列的に語られる。


しかし、佐藤氏の指摘によれば、そのようなアルチュセールの理論的移行は1970年代に固有のもので
はないという。つまり、アルチュセールは1966年の書簡において、幼児の無意識に関して、ラカンの「発
生(genése)」という概念と対比させつつ、「生起(surgissement)」という概念を提示している。ラカンが
「Aが発生するとは、いかなるメカニズムによって非AがAを生産するのか」という問題を提示するのに対
して、アルチュセールはAが発生するとは、「非AとAとの間のラディカルな切断」を提示する。


このようなラカンとアルチュセールの理論的断絶を考慮にいれると、ドゥルーズがラカンとアルチュセール
を並列して述べること、また、両者とフロイトの関係(当時のドゥルーズの説明によれば、フロイトはいまだ
現実的なものと想像的なものとの弁証法の段階に留まっている)も再考されなければならないだろう。


兎も角も、いつものように問題山積。がんばろう。