名を思い出す

人の名前をよく忘れる。しかし、忘れた名前をなんとか思い出そうとするのは比較的好きだ。まずは、「あ」から順に五十音を一文字ずつたどり、その名の頭文字を探す。これは大抵失敗する。そこでこんどは、名の雰囲気をあたまに思い浮かべつつ、また五十音をたどる。すると、「やま」とか「さか」とか、ある音のまとまりが引っかかる、近づいている気がしてくる。そして、これだと思われる音のまとまりの前後に何がつくかを探して、名の雰囲気をたよりに再び五十音をたどる。結果、その人の「名前」が思い出され、ああそうか、確かにこんな名前だったなと納得する反面、あの人は、はたして本当にこんな名前だっただろうかと不安になる。もはや確認するすべもなく、心もとない。

 

記憶にはグラデーションがある。正確には、記憶の内容を思い出す今との結びつきの強さに度合いがある(ように思われる)。しかし、記憶の度合いの強さは、結果思い出されたものが本当に思い出されるべきものであったかどうかを保障しない。では、思い出すということは、いったいなにをしたことになるのだろうか。